オイスターズ第10回公演 『水分』

 

寝ている僕の耳元で、「人間の約60%は水分で出来ている。それを劇の力で絞り出してみせてくれ。汗と涙とおしっこと、あとは知らない何物かにして」 という声がした。
絞り出した水分はどうなるんですか?と聞くと、「その水は世界を潤す」と言う。
じゃあ残った身体の方は?と聞くと「絞りカスからはカラカラすかすかの言葉が出てくる」と言った。
ライトでドライな不条理系会話劇を得意としている劇作家としてはなんとも挑戦したい題材ではありますが、今一番の不安は、その声の主は誰なのかという事なんです。

名古屋市民芸術祭2011参加作品
2011年11月25日(金)〜27日(日)
愛知県芸術劇場小ホール
作・演出 平塚直隆


◆ CAST


◆ STAFF

舞台監督:柴田頼克(電光石火一発座)照明:今津知也(オレンヂスタ) 音響:田内康介 スチール撮影:新井亮 ビデオ撮影:村崎哲也(muvin)
宣伝美術:奥田マニファクチュア 受付:菅井一輝(折込みネットワーク)・山内崇裕(折込みネットワーク) 制作協力:加藤仲葉 
劇団スタッフ:中尾達也・伊藤寛隆・吉田愛 企画・制作:オイスターズ






 
◆ 劇評が掲載されました ◆

 ずれまくりながらあらぬ方向へと突っ走る軽妙な会話で、過剰な笑いを生み出してきたオイスターズが、新しい表現に挑んだ。「水分」(平塚直隆作・演出)。笑いを抑え、観客に一種の渇きを感じさせる舞台だ。

 会社のバドミントン同好会の女性たちが、昼休みに練習をしようとしている。けれども一向に練習は始まらない。一人が「会社を辞めてラーメン屋になりたがっている恋人」についての悩みを話し始めるからだ。舞台は彼と彼女の関係や、彼が修行と称してラーメンの師匠と遊びほうける姿へとどんどん移っていく。彼は夢を実現させるのか、彼女たちはいつバドミントンを始めるのか−。

 そんな期待を裏切りつつ見せていくのは、仕事に対してだらしない男たちと、彼らを甘やかす女たちの姿だ。つまり彼らは、コートで一球一球真剣に羽根を打ち続けるという生きることの地道な作業を忘れて、右往左往している。それはあふれる情報によって口達者になり、その借り物の言葉に支配される姿であり、言葉という虚構によって心が奪われる様でもある。

 平塚はそんな現実を、そこはかとない笑いの中で切り取った。借り物の言葉を使い回し、足元を見ることなく役割を演じる姿に、無責任さや悪意、欲望が絡み合う滑稽ものぞかせた。ただそうした批評性がもうひとつクリアでなかったように思う。バドミントンを始めないことが外しとだけ見え、象徴性が弱いからだ。それでも笑いの洪水のこれまでとは、また違った世界をつくりつつあることに期待したい。


2011/12/10  中日新聞 安住恭子の舞台プリズム